救いの言葉。。。

宇宙の営みからすれば、
人の命、人の一生なんて本当にちっぽけなものだ。。。

最近、周りで亡くなる人も何人かいて、死を身近に感じている。

髪を染めないでいたら、ずいぶん白髪も増えて、
こんな歳で、眉毛にも白髪がちらほら。。。

そんな自分を見ていると、
一歩一歩、タイムリミットが近づいているようで、、、

そんなとき、死について考え、
死んだ後の自分という存在はどうなるのかと久しぶりに思いが過ぎった。

若い頃、そんな思いにとらわれて、
死が怖くて仕方なかった。

たくさんの本を読んで、
いろんな人の話を聞き、
死後の世界はあると確信するようになった。

そして、そんなことすら関心もなくなって、
意識的な存在としての人間という認識が当たり前になって
生命は、多様なレイヤーに生を持ち、
死とは、そのレイヤーを行き来するだけで
本質的な死はないと確信するに至っていた・・・

しかし、この1年くらい、
死んだ後は、何もないのではないかという思いにとらわれ始めた。

死ぬことに対する怖れは、死という強化線を越えるときに、
肉体的な痛みや苦しみは受けたくない。。。
その苦しみへの怖れはなくはない。。。

でも、それ以上に、死んだ後何も残らないとしたら・・・

死んだらすべてがなくなり、自分という存在は消滅する。

そう考えたら、何か、暗い淵、虚空に引き込まれていくような、
絶望しかなくて。。。

二度と浮かび上がることもなく
ただただ、存在が無になることの恐怖が、僕の中にあった。

しかし、今朝、瞑想していたら、ふと、こんなメッセージがやってきた。。。

『すべてを受け入れれば、すべては解放される』

それと同時に、不思議な安心感と満たされた感覚に包まれた。

すべてを手放したら、自由になれて、
本質的に満たされるとは思っていたけれど、

手放すことの難しさを感じていた。

手放すのではなく、すべてを受け入れること。

受け入れることも難しいけれど、
受け入れられたら、すべては解放される。
つまり、とらわれから自由になれる。。。

受け入れることができたら、
その先はどうでもよくなると言うことでもある。

死を受け入れたら、すべては解放されて、
その先に、自分の存在が滅しようとも、
どうなろうとも、それはすべてを宇宙に従い、ゆだねられる。

だから、その先がどうなるかすら案じることもない。。。

その前に、満たされてしまうからだ。

満たされることで、求めることはなくなり、
そこに永遠を感じることができる。

満たされること、すなわち、一体、ひとつになること。。。

そこには、分離はなく、すべてに偏在し、
普遍とつながりそのものとなる。

そこに、限りはなくなり、すべてと一つになって在る自分となる。

そこに孤独はなく、満たされ、すべてと同時にある。。。

そう思え、感じることができて、
自分の中にあった不安や漠然とした怖れが消えた。。。

まだ若いけれど、確実に老けていく自分を
若く見せようと努力するのではなく、

ありのままの自分であるように、
ありのままの自分を受け入れたら、
何かになろうとする自分はいなくなり、
そのままで完璧だと理解できる。

すべてを受け入れたら、すべては解放される。。。

救いの言葉になった。。。

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